「憂楽帳」というコラムが毎日新聞にあります。以前、ワシントン特派員をしていた時期、3カ月間、これを週1回書いていました。それをまとめて紹介します。
2002年07月01日
憂楽帳:行方不明の子供たち
「この子供を知りませんか」。行方不明の子供の情報提供を呼びかける写真付きのはがきがまた、米メリーランド州の自宅のポストに入っていた。週1回は見かけ、そのたびに暗い気分になる。いったいどれだけ多くの子供たちが行方不明になっているのだろう。
はがきに記された「失踪(しっそう)および搾取された子供のための全国センター」(本部・バージニア州)を訪ねた。広報担当のティナ・シュワルツさんによると、センターは行方不明の子供の写真付きのポスターやはがきを作って大量配布している。84年の設立時から現在までに9万件を扱い、6万3000人を捜し出した。
映画「模倣犯」が日本で話題になっている。米国在住の身で日本映画は見られないが、宮部みゆきさんの原作を読み、行方不明者の家族の苦しみを改めて知った。
米国では子供の家出が年間約45万件、連れ去りが35万件に達する。その背後に数百万人の家族の苦悩がある。「センターが充実した今では、90%の子供を見つけ出せます」。シュワルツさんの言葉に救いを感じた。
【斗ケ沢秀俊】
2002年07月08日
憂楽帳:単位一国主義
「現在の気温は90度です」。米国に来てまもないころ、天気予報に驚かされたことがある。もちろん、カ氏温度のことで、セ氏では約32度。90度と聞くと、暑さが一層増す気分になった。
米国社会では、気温はカ氏、長さはインチやマイルが使われる。米標準・技術研究所のジェームズ・マクラーケンさんは「法律でメートル法への自主的な転換が決まったが、なお多くの分野で旧来の単位が使われている。国際標準のメートル法に一本化するよう努力しているが、すぐにはできないだろう」と語る。学校でも両方の単位と換算法を教えており、生徒は余計な勉強を強いられている。
ブッシュ米政権の外交政策はユニラテラリズム(一国決定主義)と評される。外交も単位も一国主義。自国の標準に固執する米国民は実は国際感覚が薄いのか。
とはいえ、郷に入っては郷に従えである。「カ氏68度がセ氏20度、86度が30度」と覚えたら、もう戸惑うことはない。最近は重さ感覚をスーパーで磨いている。「この焼き肉用の肉2ポンドください」 【斗ケ沢秀俊】
2002年07月15日
憂楽帳:この国に生まれて…
米国ではバリアフリーの街づくりが進んでいる。例外なく障害者用スペースのある駐車場、入り口にスロープを設けた建物を見るだけでそれは分かるが、実感したのはバージニア州に住む筋ジストロフィーの青年、ジョン・ブックバックさん(24)と出会った時だ。
彼は病気が進み、指先以外はほとんど動かせない。それでも、障害者用品の販売会社に勤め、車椅子の設計や経理を担当している。「自分で車を運転して通勤している」と聞いて、私は驚いた。
車椅子のまま運転席に入り、レバーや操作盤のボタンを押して運転する特注車だ。州政府の補助を受けて購入した。運転免許を取る際には、企業が特別の教習車を提供してくれたという。
「障害を持っていても、可能な限り働きたい。米国には障害者差別を禁じた障害者法があり、社会全体が自立に協力してくれる。僕はこの国に生まれて良かった」。彼はそう言って笑顔を見せた。
「日本に生まれて良かった」と言える障害者はどれだけいるだろう。そう自問しながら、彼の言葉をかみしめた。 【斗ケ沢秀俊】
2002年07月22日
憂楽帳:スターフィッシュ物語
ワシントンから車で3時間。久しぶりに大西洋岸に釣りに出た。釣られて放置されたのか、防波堤に1匹のヒトデが落ちていた。ふと、スターフィッシュ(ヒトデ)の物語を思い出した。
浜辺でヒトデを次々と海に放り投げている若者がいた。通りかかった作家が「なぜか」と尋ねた。「太陽が昇り、潮が引いている。僕が海に返さないと死んでしまうからです」「浜辺中にヒトデが転がっている。いくら投げたって同じじゃないか」。若者は別のヒトデを海に放って言った。「あのヒトデにとっては違うのです」
この小さな物語を、注意欠陥多動性障害(ADHD)を考える学校看護師の会「セーブ・ワン・スターフィッシュ」のジェーン・ブラウンさんから教わった。同じように見えるヒトデでも、1匹ずつ命があり、違いがある。「子供たちの違いや個性を認めることから教育は始まる」。そんな寓意(ぐうい)を込めた創作だという。
防波堤のヒトデは暑い日差しの下で、まだ生きていた。「もう釣られるなよ」。海に向かってそれを放り投げた。 【斗ケ沢秀俊】
2002年07月29日
憂楽帳:原発秘話
米公文書館は膨大な公文書を無料で閲覧できる貴重な施設だ。利用方法を体得するために訪れたメリーランド州の公文書館で、興味深い資料を見つけた。米国が広島に原子力発電所を贈ろうとした動きを記した一連の文書だった。
下院議員の一部が1954年、「被爆地の広島に原発を無料で贈ろう」と言い出した。国務省は日本の政府や原子力の専門家に打診した。しかし、広島県民や左派の人々からの反発が強く、アイゼンハワー大統領(当時)もこの提案に消極的だったことから、「広島原発」は幻に終わった――。
日本初の原子力による発電の9年前の出来事。原子力開発の正史に記されない秘話である。実現していれば、広島が日本の原発の発祥地になっていたかもしれない。
「原子力平和利用の意義を伝えたい」との下院議員の発言には善意が感じられる。民主主義やテロ反対といった「善」を世界に押し付ける現在とどこか重なる。被爆の深い傷を負った県民の心情は、理解の範囲外だったのだろう。
広島は8月6日、57回目の原爆忌を迎える。 【斗ケ沢秀俊】
2002年08月05日
憂楽帳:肥満の受容
土曜日の夜、米バージニア州のプールを訪れた。ふくよかな体形の男女約30人がホットドッグをほおばりながら談笑したり、泳いだりしている。全米肥満受容促進協会首都圏支部のパーティーだ。
標準体重を超える成人の割合が61%に達する肥満大国・米国。多くの団体が肥満解消の研究や啓発に取り組み、多くの人がやせたいと望んでいる。同協会はそんな風潮に立ち向かい、社会に「体形による差別の撤廃」、個人には「自身の体形の受容」を訴えている。
同支部代表のネドラ・リマさんは体重約90キロの40代の女性。「ダイエットの成功率は5%に満たない。体重減少の反動による急増など、むしろ健康に害を及ぼすことが多い」と、ダイエット批判を熱っぽく私に語った。
中国製ダイエット食品による健康被害が日本で問題化している。ダイエット志向の高まりを背景に発生した事件だ。
私自身、太りたくないと願っている。しかし、リマさんの次の言葉には、深くうなずいた。「人生の価値は体形で決まるわけではないでしょう」 【斗ケ沢秀俊】
2002年08月12日
憂楽帳:報道被害
10部屋ほどが入居するアパートがいくつか並んでいる。一番奥の建物に入り、表札のない部屋のドアをたたいた。
7日、私は昨秋の炭疽(たんそ)菌事件の参考人として1日に米連邦捜査局(FBI)の家宅捜索を受けた米メリーランド州の男性研究者(48)の自宅を訪れた。「報道被害」の取材のためだ。
FBIが「容疑者ではない」と明言しているにもかかわらず、米メディアは実名、顔写真付きで、彼のプライバシーを暴いていた。明らかな名誉棄損だと思った。事実上の容疑者扱いをどう感じているのか、彼に尋ねたかった。
ドアのすき間からは電話の声が漏れていた。声が途切れた時に何度か呼びかけたが、返事はない。静寂が拒否の意思を示していた。私の行為は彼にとって新たな報道被害なのかもしれない。そう自問しながら、帰路に就いた。
11日、彼は弁護士とともに初めて会見して無実を訴え、過剰な報道を批判した。しかし、メディアは今後も彼を追い回すだろう。私がその一員であることに、苦さを覚えた。 【斗ケ沢秀俊】
2002年08月19日
憂楽帳:大統領との「賭け」
今年4月、米国の若者の環境グループがブッシュ大統領に賭けを持ちかけた。「若者が7月末までに2万トンの二酸化炭素(CO2)排出削減を達成したら、大統領は環境・開発サミットに出席してほしい。達成できなかったら、大統領のもとでボランティアをする」との内容だ。
ホワイトハウスからの返事はなく、賭けは成立しなかった。それでも、同グループは「エアコンや電気のスイッチをこまめに切る」「公共交通機関や自転車を使う」といった省エネルギーをキャンパスなどで呼びかけ、CO2削減目標の達成を宣言した。
米国では、エアコンを24時間使い、平気で食べ物を残す人が少なくない。しかし、ペンシルベニア大学生のリンダ・ウォンさん(21)は「若者の意識は少しずつ変わり始めている」と話す。
「米国が地球環境保護でリーダーシップを発揮してほしい」というウォンさんらの願いは、国際社会の要望でもある。26日のサミット開幕まで、あと1週間。「賭けに負けた」ブッシュさん、ぜひ出席を。 【斗ケ沢秀俊】
2002年08月26日
憂楽帳:リスク評価
「私は蚊に刺されやすい体質なのよ」。米バージニア州在住の60代の日本人女性は腕の蚊に刺された跡を見せながら、不安そうに言った。同僚の男性記者は毎週末、自宅周辺の草刈りに精を出している。蚊を媒介に感染する「西ナイルウイルス」への恐怖心からだ。
米国内の感染者は先週末で20州計371人に達し、16人が死亡した。2州が非常事態を宣言し、殺虫剤の売り上げが急増している。行政が対策を講じるのは当然だ。しかし、冷静に考えると、リスクは極めて小さい。
米国在住者が感染して死亡する確率は現時点で1000万分の1以下。宝くじの高額当選の確率よりもずっと低い。米国で年間約4万人に上る交通事故死(確率は約7000分の1)を心配するほうが現実的だ。
「家族の健康を守りたい」という同僚記者の気持ちは分かるが、私は彼に忠告した。「家族のために努力するつもりなら、たばこをやめて間接喫煙を防ぎなさい」。もっとも、この言葉に説得力はない。私も害を知りつつ喫煙を続けているのだから。 【斗ケ沢秀俊】
2002年09月02日
憂楽帳:チャンスを待つ
日本の骨髄バンクから手紙が届いた。骨髄移植を希望する患者と私の白血球型(HLA)が適合したので、詳しい検査を受ける意思があるかどうかを確かめたいとの内容だった。
バンク設立運動を取材、報道した縁で、92年の登録開始と同時にドナー(提供者)登録をした。移植にはドナーと患者とのHLA適合が前提となる。2年後に適合の知らせを受けて詳しい検査に進んだが、その患者とより適合度の高いドナーがいたためか、私は選ばれなかった。今回が2度目のチャンスだった。
しかし、今は米国在住の身。毎日新聞社には骨髄提供時の有給休暇制度があるものの、検査の段階で帰国することは現実には難しい。残念ながら、お断りした。
バンクによると、設立以来の移植実施件数は4275件、7月末時点で登録患者は1841人、登録ドナーは15万6211人。提供には麻酔や骨髄液採取に伴うリスクがあるが、命を救える可能性を私は選びたい。年齢制限の50歳まで残り5年。3度目のチャンスは来るだろうか。【斗ケ沢秀俊】
2002年09月09日
憂楽帳:ノープロブレム
「ソーリさん、また、道に迷っちゃった」。取材部屋に戻った同僚があきれた口調で報告した。しかし、表情は何だか楽しそうだ。
南アフリカ・ヨハネスブルクで開かれた環境・開発サミットで、毎日新聞取材班は現地の事務局を通じて、ハイヤーを借りた。派遣された運転手が黒人男性のソーリさん(40)だった。
彼は毎日のように道に迷う。交差点でエンストしたこともある。そのたびに「ノープロブレム」(大丈夫さ)と口にする。最初は皆、要領の悪い運転手を割り当てた事務局を恨んだ。ところが、遅れて到着しても、会見が遅れて間に合うといったように、不思議と「結果オーライ」になる。憎めない笑顔に、皆が負けた。
ヨハネスブルクの失業率は30%近い。妻と4人の子供を抱えるソーリさんも失業者の一人で、期間中だけの仕事だ。4日の閉幕とともに、彼は失業者へと戻った。
閉幕後、ソーリさんにお礼の電話をかけた。「仕事が見つかるといいね」と言うと、いつもの陽気な声が返ってきた。「ノープロブレム」 【斗ケ沢秀俊】
2002年09月30日
憂楽帳:反戦おばあちゃん
そのおばあちゃんに出会ったのは、9月中旬にワシントンで開かれた人権擁護集会だった。「グレー・パンサーズ」という市民団体のメンバー、ローズマリー・フリンさん(76)。イラク攻撃反対を訴える姿にひかれ、後日、米メリーランド州の自宅を訪ねた。
物理化学の博士号を持つフリンさんは米航空宇宙局(NASA)などに勤務しながら、9人の子供を育てた。70年代にはベトナム反戦運動にも参加したという。
「イラクに核兵器、化学兵器があるかどうかは分からない。両方とも持っているのは、他ならぬ米国です。非民主的な政権だとしても、米国に他国の政権を決める権利はありません。翌週アフガニスタンに行くという軍人がデモ行進の際、私の意見を聞いて、賛成だと言ってくれました」
同時多発テロ以降、米国で広がる独り善がりの愛国主義に違和感を抱いている私は、フリンさんの筋の通った主張に、勇気付けられる思いがした。
29日に開かれたイラク攻撃反対のデモ行進でも、フリンさんの小柄な姿があった。
【斗ケ沢秀俊】