福島の放射線問題
東京電力福島第1原発事故から1年半以上が経過したが、今なお福島県内や首都圏では放射線、放射性物質による健康影響、特に内部被ばくを心配している人が多い。しかし、さまざまな調査により、内部被ばくは健康に影響を及ぼすレベルよりも十分に低いことが分かってきた。被ばく量やリスクの程度を適切に伝えるリスクコミュニケーションが求められている。【なお強い不安感】
福島市が9月に発表した「放射能に関する市民意識調査」の結果は、福島市民の多くが被ばくによる健康不安を感じ続けていることを明確に示した。
この調査は今年5月、福島市在住の20歳以上の男女5000人、市外へ避難している20歳以上の男女500人を対象に実施し、3022人から回答があった。調査項目の作成・分析は牧田実福島大学教授が担当した。
調査結果によると、「放射線による健康不安」では、外部被ばくによる健康不安は「大いに不安である」「やや不安である」の合計が81%、「あまり不安でない」「不安ではない」の合計は19%だった。内部被ばくによる健康不安も、「不安」が83・3%、「不安ではない」が16・7%と同様の傾向だった。
「放射線による健康不安の変化」では、外部被ばくによる健康不安は事故後まもなくに比べて「大きくなった」が37・4%、「かわらない」53%、「小さくなった」9%、内部被ばくについては「大きくなった」が44・8%、「かわらない」50・5%、「小さくなった」4・8%で、健康不安は緩和されるのではなく、むしろ深まっていることが明らかになった。
「放射線汚染に対処する行動」では、「自宅や自宅周りなどの放射線量の測定」を実施しているのは36・9%、「洗濯物を外に干さない」は40%、「食べ物の線量と産地に気をつける」は69・9%、「飲み水の購入」は35・9%が実施していた。
さらに、心理状態の調査では、「福島県のこどもたちの将来が心配だ」と思う人が89・1%に達し、「できれば避難したい」は33・7%と、3人に1人が避難を望んでいた。
今なお、県内の少なくない幼稚園、保育園、小学校では、外遊びの時間を制限したり、土に触れるような行動をさせないといった措置を講じている。
不安感の源には、放射性物質、放射線が目に見えないものであること、低線量被ばくの健康影響にはさまざまな議論があること、危険性を強調する報道や言説が多かったことなどに加え、「被ばくの実態がよく分かっていない」ということがあった。しかし、以下に詳述するように、県や民間の調査で県民の被ばく状況はかなり明らかになってきた。
【分かってきた被ばくの実態】
外部被ばくについては、市町村がガラスバッチ調査を実施している。個人にガラスバッチと呼ばれる線量計を一定期間携帯してもらい、回収してその期間の積算外部被ばく線量を測定する。2011年後半に実施された福島市のガラスバッチ調査(3カ月携帯)では、99・7%が1ミリシーベルト未満だった。年間換算した数値で見ると、87・2%は2ミリシーベルト未満となる。2011年10~12月に実施された相馬市でのガラスバッチ調査でも、99・2%は年間換算2ミリシーベルト未満だった。
各地の空間線量率は漸減しているので、現在の外部被ばく線量はこれらの数値よりも減少している。大半の県民は年間の外部被ばく線量が1ミリシーベルト以下に抑えられていると考えられる。
一方、食べ物などを通じて体内に取り込む放射性物質による内部被ばくについては、体内の放射性物質の量を測るホールボディカウンター(WBC)検査と、食事に含まれる放射性物質の量を測定する調査が実施されてきた。
WBC検査は福島県のほか、南相馬市立総合病院、ひらた中央病院(平田村)などで実施されている。南相馬市立総合病院の検査結果によると、昨年9月から今年3月までに検査を受けた9502人中、検出限界以下が6668人(70・2%)、セシウム137が体重1キロあたり20ベクレル以上あったのは182人(1・9%)だった。再検査の結果、数値が上昇したのは2人だけで、ほかは減少した。このことは大半の人は新たに取り込むセシウム量が少ないことを意味している。2012年4月以降に測定を受けた中学生以下の子どもの99・9%は検出限界以下で、内部被ばく量が着実に低下していることを示している。
ひらた中央病院の調査でも2012年1月末までの受検者8060人中、検出限界以下が85・5%、体重1キロあたり20ベクレル以上は1・5%と、ほぼ同レベルだった。
福島県のWBC検査は、測定値(ベクレル)をもとに、預託実効線量と呼ばれる生涯に受ける内部被ばく線量に換算して、結果を発表している。県の2012年8月の発表によると、2011年6月以降の受検者は計6万3366人。このうち1ミリシーベルト以上は26人(最高は3ミリシーベルト)で、ほかはいずれも1ミリシーベルト未満だった。2012年3月以降の受検者は全員が1ミリシーベルト未満だった。厚労省は内部被ばく線量を年間1㍉シーベルト以下に抑えることを目標にしているが、これがほぼ達成されていると言える。
食事に含まれる放射性物質の調査では、福島市の生活協同組合「コープふくしま」が、食事を1食分多く作り、それを検査する「陰膳」方式による放射性物質測定に取り組んでいる。2011年度の調査には100家庭が協力した。食事1キロあたり1ベクレル以上の放射性セシウムが検出されたのは10家庭。最多でも1キロあたり11・7ベクレルで、自然界に存在して日常的に摂取している放射性カリウムの含有量(1㌔あたり15~58ベクレル)の4分の1程度だった。2012年度の調査では、9月までに結果の出た82家庭中、1ベクレル以上のセシウムが検出されたのは2家庭にとどまった。最多は3・2ベクレルで、この食事を1年間食べ続けた場合の内部被ばく線量は0・037ミリシーベルトになる。
陰膳調査に参加した人からは「実際に食べているのを調べていただくのは、ここで生きている私たちにとって支えになってきます」「福島ほど放射性物質の検査をしっかりやっている所はないと思うので、最近は食品も県産の物を買っています」といった声が寄せられたという。
【内部被ばくのリスク評価】
こうした調査結果を踏まえ、福島県民の放射線によるリスク、特に内部被ばくのリスクをどのようにとらえるべきか。一つの比較対象はチェルノブイリ原発事故だ。南相馬市立総合病院の坪倉正治医師は「チェルノブイリ周辺で事故の7~10年後に報告された内部被ばく量に比べて、十分に低い」と分析する。1950~60年代の大気圏内核実験時代との比較も可能だ。放射線医学総合研究所の研究者などの調査によると、大気圏内核実験のピーク時である60年代前半には、成人の体内には数百ベクレルのセシウム137があり、1日数ベクレルのセシウムを摂取していた。南相馬市立総合病院やひらた中央病院のデータと比較すると、「県民の大半は、大気圏内核実験時代の平均的日本人よりも放射性セシウムの内部被ばく量は少ない」と判断できる。
WBC検査に協力している東京大大学院理学系研究科の早野龍五教授は測定結果について、「内部被ばくが検出されるのは昨年3月に吸入した人が大半で、現在、食事により内部被ばくしている人は少ない。被ばく量は順調に減っており、健康リスクは小さい。チェルノブイリでは土地の汚染と内部被ばく量が比例したが、福島県では土地の汚染に比べて内部被ばく量がはるかに少ない。これは、国の規制、生産者の努力、消費者の工夫などがうまくいったためだと考えられる。測定で数値が比較的高かった人の被ばく量を少なくする個別対策が今後の課題となる」と指摘する。
【甲状腺検査を実施】
WBC検査や食事調査は、「現在の放射性セシウムによる内部被ばく」を調べており、事故後まもなくの被ばく、特に放射性ヨウ素による甲状腺被ばくについてはこれらから知ることができない。放射性ヨウ素は甲状腺にたまりやすく、チェルノブイリ周辺では、約6000人の小児甲状腺がん患者が発生し、うち15人が死亡したとされる。
福島県での事故後まもない調査としては、現地災害対策本部の依頼を受けた広島大学の田代聡教授のグループが2011年3月下旬、放射線量の比較的高い飯舘村、川俣町などの子ども1080人を対象に実施した甲状腺測定がある。甲状腺からの線量率毎時0・2マイクロシーベルトをスクリーニングレベルと設定して測定したところ、これを超える子どもはいなかった。甲状腺被ばく量が少ないことを示唆するデータではあるが、この簡易測定だけでは被ばくの実態は判断できない。小児甲状腺がんを危惧する県民の声に応え、福島県は福島県立医科大学が中心となって実施している「県民健康管理調査」の一環として、18歳以下の子どもの甲状腺検査に取り組んでいる。
2012年6月の「県民健康管理調査」検討委員会で報告された同年3月末までの検査結果では、検査を受けた3万8114人中、「5・1ミリ以上の結節(しこり)や20・1ミリ以上ののう胞(液体がたまった袋状のもの)」が見つかって2次検査を要すると判断された子どもは185人(0・5%)だったが、「5ミリ以下の結節や20ミリ以下ののう胞」という「A2判定」の子どもが35・3%いた。A2判定の子どもは2次検査の対象外であることが、かえって保護者の不安や不満を募らせた。3人に1人がA2判定だったことについて、福島県立医科大学の鈴木真一教授はチェルノブイリ事故後に甲状腺がんが増えたのは4年後以降だったことから、放射線影響ではないとの見方を示した。しかし、「子どもの結節やのう胞の保有率を調べなければ、放射線影響でないとは言えない」との意見もあることから、内閣府は全国3カ所以上、計4500人以上の子どもを調査して、福島県のデータと比較することを決めた。
2012年9月の検討委員会では、2次検査を受けた子どもの1人が甲状腺がんと診断されたことが報告された。鈴木教授はこれも放射線影響ではないとの判断を示した。検討委員会は事故後3年以内の検査結果はバックグラウンドとなるデータであり、以降の検査結果をこれと比較することによって放射線影響の有無が明らかになると考えている。
【福島県では、がんは増えるか】
大気圏内核実験時代には、国民の全てがセシウム137を中心とした放射性降下物により被ばくしていた。その時期の被ばくは、その後のがん死の増加になって現れているのか。がん死そのものは増え続けている。しかし、これは高齢化社会の到来とともに長寿命になったことが主原因であり、年齢調整死亡率は増えていない。少なくとも、統計的には「被ばくによるがん死の増加」は見られない。
福島県民の受ける外部被ばく線量は自然放射線の地域差の範囲内である(欧米の多くの国は日本よりも高い)し、内部被ばく線量はそれよりもずっと少ない。毎日新聞で「Dr.中川のがんの時代を暮らす」を連載中の中川恵一・東京大学附属病院放射線科準教授はこうした調査結果や過去の知見に基づき、「福島県では放射線影響によるがんは増えない」と断言する。私も全く同意見だ。それが実証されるのは5~20年後であり、福島県民はそれまでは不安を完全に解消することが難しいだろう。せめて、メディアなどを通じて、「被ばく線量は少ない」という事実を多くの人に知らせる必要がある。浮遊しているセシウムはほぼゼロであり、吸入による内部被ばくの恐れはなく、外遊びや土に触れることを制限する必要がないといった、生活につながる情報も伝えたい。
【おわりに~福島の支援を】
最初に紹介した福島市の意識調査では、「原発事故による風評被害は深刻だ」と思う人が91・1%、「福島県は日本の中で孤立している」と思う人が62・3%にのぼった。福島県では、「福島県が人の住めない土地だなどとネットで書かれているのを見ると腹が立つ」「福島県は事故の風化とともに忘れ去られるのではないか」といった声を聞く。
私は、国(私たち国民を含む)と東京電力の重大な過失(ここでは詳述しない)が引き起こした原発事故により不条理な被害を受けた福島県民を支援する義務が私たちにあると考える。2点を提言したい。一つは福島県を訪れることだ。それは「福島県を忘れない」というメッセージになるし、福島県民への経済的支援になる。もう一つは、特に深刻な打撃を受けた一次産業を支援するために、福島県産の農作物などを積極的に購入することだ。県の生産者は多大な努力をして放射性物質の基準をクリアする産物を作っており、流通する産物の安全性には全く問題はない。私の所属する毎日新聞社水と緑の地球環境本部は毎月2回、「がんばれ東北!矢祭もったいない市場」という名称で、福島県矢祭町の産直を開催している。「買って応援、食べて応援」を呼びかけたい。