【上杉隆氏との交渉経過】
2012年5月5日毎日新聞朝刊メディア面「つながる ソーシャルメディアと記者」に掲載された私のコラム「誤解多い放射線影響」に対して、2012年9~10月、上杉氏がweb上での評論や自身のメルマガで私を名指し批判しました。その内容が事実に基づかない私への中傷だったため、私はツイッターで「公開質問状」をツイートしましたが、上杉氏からは全く反応がありませんでした。そこで、私は10月、上杉隆事務所あてのメールで、上杉氏に対する取材申し込みを送りました。これに対し、上杉隆事務所は11月、毎日新聞社の社長室広報担当あてに、私の記事、講演やツイッターでの発言について「相互取材したい」との申し入れをしてきました。広報担当は「会社としては取材対応をしません」と回答しました。
私は相互取材を受けてもかまわないことを広報担当に確認し、上杉隆事務所に「取材を受けます」と連絡しました。12月下旬、再び広報担当あてに、上杉隆事務所からの取材申し込みがありました。私の記事2本(「つながる」「記者の目」)について取材したい旨の申し入れでした(講演やツイッターでの私の発言は取材項目に入れていない)。記事の内容そのものではなく、「文責はどこにあるのか」という質問でした。
これに対し、広報担当は「通常の意味での文責は筆者にある」旨の回答をするとともに、「斗ヶ沢との取材を設定するので、希望する日時を連絡してほしい」旨を返答しました。
すると、上杉隆事務所からは「通常の意味での」というのは何を指すのかといった追加質問があり、広報担当と私は「追加質問に答えても、また追加質問が来るだけで、きりがないだろう」との見方で一致し、これには回答しないことにしました。その後、上杉隆事務所からは希望日時の連絡はありませんでした。 私は上杉氏に直接電話して、相互取材の早期実現を申し入れました。長く連絡のない状態が続きましたが、上杉隆事務所のS氏から4月に電話があり、「5月 17日、21日のいずれかに相互取材をしたい」とのことで、私も同意しました。しかし、5月10日ごろ、S氏から「5月28日か、6月14日にしたい」との電話があり、私はこれも了承しました。5月下旬、S氏から「6月14日に設定します」と電話があり、日が確定しましたが、その後、場所や方法についての連絡はなく、6月7日、ようやくS氏からの「相互取材詳細」とのメールで「場所 No Border青山スタジオ、時間 16時~18時予定、撮影につきましては、ニコ生にて放送予定」と知らせてきました。
私はメールで、私の質問内容を伝えるとともに、「取材のルール内容や進め方を打ち合わせましょう。無料放送をしたいと考えています。もう告知してもよいですか」との旨を伝えました。11日に事務所担当者から「告知はかまいません」とのメールがありましたが、ほかの点への言及はありませんでした。私は上杉氏本人、担当者に電話しましたが、返信がありませんでした。
前日の13日夕方になって、S氏から次のようなメールが来ました。
まもなくS氏から電話があり、私は「ニコニコ動画を入れることができますかと質問したのであって、上杉氏に依頼をしたわけではない。事前に私と相談して決めるべきでしょう」と抗議し、当方でUStream無料放送をしたいと言いました。これに対し、S氏は「上杉は依頼を受けたと言っています。 UStreamで無料放送をする場合、スタジオ使用料を請求します」と答えたため、私は「相互取材は対等であり、場所代を取るのはおかしい。立場を逆にして考えてみてください。毎日新聞社の会議室を相互取材場所にして、取材に来た上杉氏から会議室使用料を取ったら変でしょう?それは認められません」と強く撤回を申し入れました。S氏は「これ以上は私の立場では何も言えません。明日、開始前に上杉と話してください」と懇願したので、私は追及をやめました。覚書相互取材の合意事項(本人同士)1、「場所、日時、取材方式はすべてそちら(上杉)にまかせます」(斗ケ沢氏)2、ニコニコ動画を入れることはできますか?(斗ケ沢氏からNB側に依頼)3、上杉、上記(2)を了承。スタジオ、器材、スタッフの準備を完了。上記が前提となる合意事項です。それ以上の要望は受けておりません。変更等や条件の付加がありましたら、その都度、理由とさらなる合意の上に、相互取材を行いましょう。上杉隆
(以上の経過についてのコメント)
取材申し込みから実現まで8カ月もかかったのは、上杉氏側に理由があります。上杉氏は私個人との対決ではなく、「上杉隆VS毎日新聞社」の構図にしたかったようです。「斗ヶ沢との取材を設定するので希望を出してくれと、上杉隆事務所に回答してほしい」という私の要望を会社の広報が受け入れ、「取材を設定します」と回答しました。上杉氏はその回答を受けて困ったのでしょう。上杉氏からの連絡は途絶えました。ここまで努力して実現しなかったでは私の気がすまないので、自由報道協会のHPを通じて上杉氏との相互取材記者会見を申し込む(返答はなかった)など、さまざまな方法で実現の道を探りました。上杉氏もこれ以上逃げていられないと思い、受けることにしたのだと思います。上杉氏が送ってきた「覚書」なるものは当然、存在しません。勝手に上杉氏が作った「覚書」です。ニコニコ動画を「依頼」した事実もありません。「変更等や条件の付加がありましたら、その都度、理由とさらなる合意の上に、相互取材を行いましょう」とありますが、事前に上杉氏の携帯電話にかけても、電話に出ないし、返信もないという状態で、上杉氏と直接話す機会がありませんでした。
No Borderのニコニコ動画を見るには有料であることはツイッターで知りました。上杉氏に批判的な方にとっては、「視聴すると上杉氏にお金が入る」ということになり、甘受しにくいでしょう。そこで、社内の同僚に相談して、UStream無料中継の準備を整えました。「できるだけ無料中継をする。それを断られた場合、最低でも録画して後で無料で見られるようにする」という方針で臨むことにしました。
上杉隆事務所に何人の方がいるのか分かりませんが(おそらくごく少数)、当方のメールにも電話にも返信しないことが多く、事務所としての機能が極めて不十分であるという印象を持ちました。
【当日の直前交渉】
私は中継を手伝ってくれる会社の同僚とともにNo Border青山スタジオに行きました。スタジオで迎えてくれたのは上杉氏とS氏。同僚が「カメラをセットしてもいいですか」と尋ねると、S氏が「とりあえずセットしてください」と答えました。上杉氏も何も言いませんでした。私と上杉氏は相互取材のルールについて打ち合わせました。まず、「質問を交互にする。一つの質問に対する関連・補足質問は2回まで」と決めました。さらに「相互取材の内容についてはそれぞれが相手の事前チェックなしに利用できる。相手が言っていないことを言ったことにしたり、おかしな編集をした場合は、抗議できる」「質問への回答は最大10分程度で、あまり長くならないようにする」と決めました。
それが開始約5分前。そこで上杉氏が話し始めました。「相互取材ということで放送についてはあまり考えていなかったのですが、斗ヶ沢さんからニコニコでというご提案をいただいたので、事務所から発注したわけですね。生放送の特殊な機材と人で1回15万円ぐらいなのですが、発注させてもらったという背景があるわけです。スタジオは私の事務所ではなく、No Borderさんのスタジオをお借りしているということなのです。全額払えとは言わないですけど、そちらで無料放送をされるのなら、うちでここまでセットしているので、最初からそうおっしゃってくれないと」。「交渉の途中の段階で、こういう方式でやり、費用がどれほどかかる。それをどう負担するといった相談があるべきだったのではないですか」との私の反論に対し、上杉氏は「ですから、費用が発生しないようにニコニコの有料放送にしたのです。なのに、無料放送をするというのならということです」。私は「分かりました。折半にしましょう」と言いました。上杉氏「では、請求書を送ります。会社宛ですか」。斗ヶ沢「私個人宛に下さい」。ここで開始1分前でした。
(当日の直前交渉についてのコメント)
最初、カメラや録音マイクのセットがすんなり認められて、私は意外に思いました。無料中継ができることで、皆さんに顔が立つと、ほっとしました。ところが、罠があったわけです。上杉氏が放送の件について話し始めたのは開始5分前になってから。私は「やられた」と思いました。カメラのセットの際に無料放送についての考えを述べてくれたなら、議論する時間がありました。ところが、もう開始の直前。上杉氏とここで論争していると、開始時間が遅れてしまいます。私は「無料放送を諦めるか、上杉氏にスタジオ代の半分を払うか」のいずれかの選択をするしかありませんでした。不当な請求であると認識しつつも、私は無料放送を実施する道を選択しました。もちろん、会社から出るはずもなく、自費です。痛い出費ですが、相互取材に期待していた方々に、見ていただくことを優先しました。相互取材の数日後、No Borderからの請求書が届きました。15万円の半分の7万5000円+消費税で、7万8750円の請求でした。私はその額を振り込みました。
【相互取材へのコメント】
(Ⅰ)前段の会話
反論掲載「毎日新聞からNO」は嘘相互取材に至る経過の説明で、上杉氏は「本来ならば、毎日新聞で書かせていただきたかったんですが、それは毎日新聞さんの方からNOと言われました。それは。ご存じかもしれませんが、NOと言われました」と述べています。
この件について、弊社の広報担当に上杉氏からの反論掲載要求があったかどうか尋ねましたが、「ありません」と明確に否定していました。私のコラムに対する反論の掲載を求める場合、相手は広報、斗ヶ沢個人、編集編成局長しか考えられませんが、いずれもそうした要求を受けていません。「毎日新聞からNOと言われた」というのは、全くの嘘です。上杉氏の頭の中でだけ存在する出来事なのでしょう。
なお、実際に反論掲載要求が来たとしたらどうなっていたか。恐らくは「どのような内容になりますか」などと尋ね、概要を示してもらうことになるでしょう。上杉氏が虚報問題でまともな反論をできるとは考えられないから、反論が掲載されることはありえなかったと推測されます。
編集権が個人に?
上杉氏は「毎日新聞さんは、編集権ならびにそういうものは個人にあると言っている」と述べていますが、毎日新聞社は上杉隆事務所に対してそのような回答をしていません。「編集権」が記者個人にあるのではなく、毎日新聞社にあることは明白です。
私はこの議論の際、「著作権が誰にあるかということで、個人のコラムは個人だけれども、編集権は毎日新聞にある」と述べましたが、ここは訂正があります。上杉隆事務所からの弊社広報担当への質問は「コラムの文責はどこになるのか」でした。著作権、編集権ではなく、文責を問うてきたのです。広報担当はこれに対して、「通常の文責は筆者にある」と回答しています。つまり、「個人名のコラムの文責は個人にあるが、編集・掲載をした責任は新聞社にある」ということになります。
毎日新聞記者か科学ジャーナリストか
上杉氏は私の立場について、あれこれと尋ね、「都合のいい時は会社の記者、そして都合が悪くなるとジャーナリストになったり、会社とは関係ない、その逆もあるんですね」と述べました。
私はそこで述べたように「会社の業務で来たのではない。毎日新聞社の立場を代弁することはできない。しかし、毎日新聞記者であるから、書いたことについては当然答える」という立場であり、新聞記者であることと、一人のジャーナリストであることを使い分けしてはいません。上杉氏からあれこれと言われることはないのですが、上杉氏としてはニューヨークタイムズで働いていたという話をしたかっただけなのでしょう。
(Ⅱ)夕刊フジ虚報問題
虚報の苦しい釈明
上杉氏がウォールストリートジャーナル紙(WSJ)の2記者の談話を虚報したことはまぎれもない事実です。夕刊フジで「発言はありませんでした」と訂正された以上、捏造かミスかにかかわらず、虚報です。
これに対する上杉氏の釈明は長々と続きました。概要は「イタリア人のピオ・デミリア記者のコメント、WSJ記者のコメントを取材メモに貼り付けた。ピオのコメントを、本当に情けないながら貼り付けて(WSJ記者のコメントとして)送ってしまった」とのことです。
ここで面白いのは、WSJの2記者とは、15分は店を探しながらの立ち話、残り15分は居酒屋風の店での会話だが、自分が取材を受けたと語っていること。つまり、取材メモなんて、取れないではないか。まあ、上杉氏にそれを指摘しても、「後になって記憶でメモした」と強弁するでしょうけれど。それにしても、居酒屋風の店で、15分間で注文して食べて店を出るという芸当は、常人にはなかなか難しいですね。
「談話を言った人の名前が違っただけで、言った内容は違っていないから虚報ではない」という言い訳は、少なくとも毎日新聞社では通用しません。
見出しをめぐる論議
上杉氏の発言:斗ヶ沢さんご自身で書いた文章について齟齬が(齟齬を)きたしているんで、「福島、郡山市には人が住めない」との見出しの虚報をした、これは見出しにかかっているのですか。意味不明の質問です。私の上記の文章のどこに齟齬があるのか、理解できません。そもそも、齟齬(食い違うこと)の意味が分かっているのかしらと心配になります。
話の流れからすると、「斗ヶ沢は見出しを問題にしているけれど、見出しは私が付けたのではない」と言い訳しているように思われます。これについて言えば、私は見出しを問題にしているのではありません。「福島、郡山市には人が住めない」という見出しの根拠になったWSJ記者の談話が虚報であると、私は指摘しています。夕刊フジの記事には、ほかに「福島、郡山市には人が住めない」の見出しが取れる部分はありません。また、見出しが不適切であるということでもありません。この原稿を見た編集者がWSJ記者の談話を見出しどころと考えるのは、ごく自然なことです。「夕刊フジさんがこういう見出しを付けたことに関しては、私は責任とりようがないです」との上杉氏の弁明は、見出しが不適切で、それを私が問題にした場合には成り立ちますが、今回はそうではなく、記事そのものが虚報です。
(Ⅲ)「被曝の安全」について
「被曝の安心」に変更したが上杉氏が週刊ダイヤモンド・オンラインへの寄稿で「被曝の安全を訴えてきた斗ヶ沢秀俊記者」と表現したことに対し、私は「被曝の安全という言葉を使ったことはない。被曝の安全を訴えたという実例を示してほしい」と求めました。
これに対し、上杉氏は「安全ではなく、安心でした」と訂正しました。「被曝の安心を訴えてきた」というわけです。私は「放射線にはリスクがある。被曝にはリスクがある。被曝が安全であると言うはずはない」と反論しているわけですから、「被曝の安心」とやらを訴えるはずはありません。リスクは量に依存するわけですから、「被曝」そのものではなく「被曝量」を議論しなければなりません。私は2011年3月18日の「記者の目」で、「皆さんが現在受けている放射線量は健康に全く影響しません。安心してください」とラジオ福島の放送で述べたと書きました。上杉氏はこれをもとに「被曝の安心を訴えた」と主張していますが、リスクについての理解が不足しているか、日本語の使い方を知らないかのどちらかでしょう。
なお、私は事故発生後まもない時期の「記者の目」やラジオ福島でのコメントでは、「健康に全く影響しない」「安心」という言葉を敢えて使いましたが、一定程度落ち着いた4月以降は「安心」という言葉は使っていませんし、「健康に全く影響しない」ではなく「健康影響の出ないレベルの被曝量」といった表現に変えています。事故後まもない時期には、福島県の方々の多くは非常に強い不安を持ち、避難すべきかどうかを考えていました。その不安を緩和し、すぐに避難する必要のある被曝量ではないことを伝えることが必要だと考え、端的な表現をしました。しかし、「全く影響しない」と断言することは「しきい値なし仮説」の立場から考えて適切ではないし、「安心」かどうかの判断は人によって異なるので、4月以降はできるだけ使わないようにしました。
(Ⅳ)当事者への「当て取材」の必要性について
まぎれもない事実には当て取材は不要上杉氏は「当事者へ当てる取材はジャーナリストの第一歩」だとして、私がコラムを書いた際に、上杉氏やおしどりマコ氏に「当て取材」をしなかったことを問題にしています。これに対して、私は「メインの取材ではなかったから」と回答しましたが、ここはより正確に表現すべきでした。
私のコラムでの該当個所は以下の通りです。
▼2月下旬、「週刊文春」が「福島県から北海道に避難した子ども2人が甲状腺がんの疑い」という記事を掲載した。いずれも、当事者に確認するまでもない事実です。ですから、「事実確認のための取材は不要だった」のです。これが「あて取材」をしなかった理由です。
▼「福島、郡山市には人が住めない」との見出しの虚報をした著名ジャーナリストを批判した。
仮に、週刊文春の記事批判、上杉氏の虚報批判に的を絞って書くのであれば、コメント取りの取材が必要になる場合もありますが、ここではそうではない(記事のメインではない)から、取材は不要でした。
(Ⅴ)おしどりマコ氏の介入について
後に、ツイッターで皆さんのツイートを拝見したところ、おしどりマコ氏の介入は極めて不評でした。「飯舘村の方から斗ヶ沢さんへの質問を頼まれていた」というおしどりマコ氏の言葉に、私は「歓迎です」と答えましたが、マコ氏は上杉氏の同意を得ていません。上杉氏と斗ヶ沢との相互取材に入ってきて、自分の質問を始めるというのは、やはりルール違反でしょう。
(Ⅵ)福島県民の健康被害と隠蔽はあるのか
放射線による健康被害の実例は挙げられず上杉氏が週刊ダイヤモンド・オンラインで「これまで県民の健康被害やそれに伴う隠蔽、そうした事実を直視してこなかった大手メディアの報道」と書いた件について、私が「県民の健康被害は起こっているのか」と質問しました。
私は「放射線による健康影響」を問うたのですが、上杉氏の答えは「原発事故に伴う移動、高齢者の方には移動の最中に亡くなったりする方もいます」「お子さんたちの健康、ストレスも含めて、心の被害もあるし、健康被害もあると」「自らの命を絶った方がいます」。いずれも、放射線による健康被害ではありませんが、まさしく原発事故による広範で重大な健康影響です。その点に異論は全くありません。これらの問題については、私は事故直後から言及しておりました。上杉氏が今になってではなく、以前から避難のリスク、子どもの外遊びが制限されることのリスクをきちんと述べてほしかったと思います。上杉氏はこうして放射線による健康被害ではなく、全体の健康被害へと話をそらすことによって自身の発言の正当化を図ったわけですが、すると、大きな矛盾が出てきます。これらの避難によるリスク、子どもたちの生活変化による影響、自殺者の続出はいずれも「隠蔽」されることなく、新聞やテレビがたくさん報じてきました。
私は次に、「放射線による健康被害が出ているのか」に絞って尋ねました。上杉氏は「出ているとも出ていないとも言ったことがない」「現状について私は判断する材料を持ち合わせていない」「小児甲状腺がんも含めて、がんの患者さんはいらっしゃる。それが放射能が由来か、放射能が由来じゃないか分からないんだけど、数は増えているんだからその可能性はある」などと答えました。無難な答えです。ここのポイントは、上杉氏が「放射線による健康被害」の実例を挙げられなかったことにあります。
さて、「隠蔽、そうした事実を直視してこなかった大手メディアの報道」についてですが、私の「健康被害に関する隠蔽の事実はありますか」に対して、出てきた答えが「検査を受けた子どもたち、その親御さんに情報を提供しない。これはまさに隠蔽ではないか」。これは検査結果の情報公開に関する話であり、「健康被害の隠蔽」ではありません。
上杉氏の「私自身が隠ぺいだったと思った事実はあります、私自身が。まあ、物事っていうのは、何でも主観だと思いますよね」という発言は、コメントするまでもないレベルでしょう。
(Ⅶ)放射線モニタリングについて
(Ⅷ)飯舘村の全村避難について
計画的避難区域が設定された当時、すでに放射性物質の大量放出はなくなっていました。各地の空間線量率は3月15日までに飛散・降下した放射性物質の量で決まっていました。飯舘村役場の測定点での空間線量値は毎時5μSv前後、福島市では毎時2~3μSvでした。これらは日時の経過とともに減少することが予測されていました。
仮に飯舘村民が福島市に避難したとして、被曝量の減少は当初で毎時2~3μSv、1年ほど経てば毎時1μSv以下になると予測されます(現在は毎時0・5μSv以下)。年間で換算すると、数mSvの違いです。世界の自然放射線量が高い地域では年間数mSvの被曝量は珍しくない。その地域でがんなどの死亡率が高まるというデータは存在しません。
一方、避難により、村民の方々は家を失い、多くは職を失います。多世代家族は家族全体での生活を失い、畜産業者は家畜を失います。地域のコミュニティーもまた失われます。
避難による被曝量の減少と避難により失われるものを比較すると、一般的には避難によって失われるもののほうがずっと大きいと考えられます。もちろん、被曝量を少しでも減らすことのほうが重要だと考える方もいるでしょう。そういう方や、住み続けることに強い不安を抱いている方は避難したほうがよい。しかし、村民全体を強制避難させることは、国の政策として間違っていると、私は考えました。
この考えが間違っていたとは今も思いません。菅野典雄村長など村役場の方々と当事者たちの努力により、特別養護老人ホーム「いいたてホーム」と、一定人数以上の従業員のいる村内企業は、存続を認められました。このことの価値はとても大きく、いいたてホームの高齢者は避難に伴う健康の悪化を免れました。残った企業の従業員のうちの希望者は失業を免れました。企業の存続は今後、帰村が始まる際の基盤になるだろうと思われます。
(Ⅸ)読売新聞一覧表盗用疑惑について
「盗用と捏造はジャーナリスト生命終わり」読売新聞が2011年3月19日に掲載した各国の対応一覧表を、上杉隆氏が自身のメルマガや著書で、自身の調査として盗用した疑惑が指摘されています。この件については、事前に上杉隆事務所のS氏から「相互取材の質問に含めないでほしい」と言われていましたが、当日の直前交渉で上杉氏が「何を聞いてもかまいません」と述べたので、質問しました。
これについての上杉氏の答えは具体的にはありませんでしたが、「ミスはいい。盗用と捏造、これに関しては、ジャーナリスト生命終わりなんですよ」という言葉を確認することができました。夕刊フジの談話は「別の記者の談話と取り違えた」との言い訳が可能でしたが、読売新聞一覧表については、「読売の一覧表と上杉氏の一覧表が全く同一の表であり、読売の掲載日時の方が早い」という歴然たる事実があるので、「ミス」で逃げる道がありません。進行中の訴訟で盗用が明確になった場合、上杉氏がどうするのかが注目されます。もっとも、ジャーナリスト活動を停止すると宣言してからも、「元ジャーナリスト」として以前と同じように活動している上杉氏ですから、ジャーナリスト生命が終わっても何も変わらないでしょう。
(Ⅹ)風評被害、20mSv?
取材の準備不足を露呈上杉氏の最後の質問は、「被曝の危険性を訴えること、記事にすること、根拠も示しながら、これは駄目だという立場だと思うんですが、何故ですかそれは?」という理解しにくい内容。「被曝の危険性を訴えることを駄目だと言ったことはありません。被曝のレベルをきちんと見ましょうということです」と答えましたが、上杉氏の質問の意図がよく分かりません。続く「昔の記事で20ミリって書かれているのはなぜですか。何で20が1になってしまったんですか」「斗ヶ沢さんが自分で20ミリって言っていること、今に持ってきたら、それこそ風評被害じゃないですか」に至っては、「あんたの頭の中を見てみたい。日本語で分かるように説明してくれよ」と突っ込みを入れたくなるレベルの意味不明な言葉です。上杉氏は机上の資料をひっくり返してあれこれ探していたようですが、時間の無駄であり、視聴者の方々にも呆れられたのではないでしょうか。上杉氏の放射線影響に関する基礎知識が十分でないこと、相互取材に向けた準備が明らかに不足していたことが、この場面で露呈しました。最後には上杉氏はわけのわからないことをつぶやくばかりで、私は「最後に一言づつ」と視聴者に向けた締めの言葉をそれぞれが述べるよう提案しましたが、不機嫌そうに「いや結構です、これはもう時間なんで」と拒否しました。
【終わりに】
しかし、私は公開相互取材の成果はあったと考えます。それは上杉氏の発言、特に虚報に対する言い逃れ、捏造や盗用ではないとする強弁、放射線測定や放射線影響への無理解を示す発言が映像と活字(文字起こし)で記録されたことです。
また、上杉氏は放射線による健康影響の実例を挙げられず、逆に、避難に伴う死亡や健康悪化、子どもたちが外遊びできないことによる影響などを健康影響として例示しました。上杉氏らが放射線影響を過剰に喧伝し、さらなる避難を呼びかけた(上杉氏は「行政に対して、避難させるべきだと呼び掛けてきた。住民に対しては最初に1回だけ言ったが、後は言っていない」と述べている)ことは、過剰避難やストレスの増加につながったと私は考えます。避難が大きな健康リスクであることが明確になったこの議論は、重要だったと言えます。
上杉氏の人格や取材者としてのレベルが相互取材を通して、皆の目に明らかになった。なお「大メディアと戦うジャーナリスト」であると上杉氏を評価する方が少なくない(かなり減ってきたであろうけれど)いま、上杉氏の虚像を満天下に示した相互取材には十分な意義があったと考えます。
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