2013年8月9日金曜日

(2012年12月発行の「公衆衛生」誌に掲載した原稿です。私の認識はこの原稿を書いた時点と現在では違いがありません。なお、原稿中の「今年」は12年、「昨年」は11年です)

福島の放射線問題

東京電力福島第1原発事故から1年半以上が経過したが、今なお福島県内や首都圏では放射線、放射性物質による健康影響、特に内部被ばくを心配している人が多い。しかし、さまざまな調査により、内部被ばくは健康に影響を及ぼすレベルよりも十分に低いことが分かってきた。被ばく量やリスクの程度を適切に伝えるリスクコミュニケーションが求められている。

 【なお強い不安感】
 福島市が9月に発表した「放射能に関する市民意識調査」の結果は、福島市民の多くが被ばくによる健康不安を感じ続けていることを明確に示した。
 この調査は今年5月、福島市在住の20歳以上の男女5000人、市外へ避難している20歳以上の男女500人を対象に実施し、3022人から回答があった。調査項目の作成・分析は牧田実福島大学教授が担当した。
 調査結果によると、「放射線による健康不安」では、外部被ばくによる健康不安は「大いに不安である」「やや不安である」の合計が81%、「あまり不安でない」「不安ではない」の合計は19%だった。内部被ばくによる健康不安も、「不安」が83・3%、「不安ではない」が16・7%と同様の傾向だった。
 「放射線による健康不安の変化」では、外部被ばくによる健康不安は事故後まもなくに比べて「大きくなった」が37・4%、「かわらない」53%、「小さくなった」9%、内部被ばくについては「大きくなった」が44・8%、「かわらない」50・5%、「小さくなった」4・8%で、健康不安は緩和されるのではなく、むしろ深まっていることが明らかになった。
 「放射線汚染に対処する行動」では、「自宅や自宅周りなどの放射線量の測定」を実施しているのは36・9%、「洗濯物を外に干さない」は40%、「食べ物の線量と産地に気をつける」は69・9%、「飲み水の購入」は35・9%が実施していた。
 さらに、心理状態の調査では、「福島県のこどもたちの将来が心配だ」と思う人が89・1%に達し、「できれば避難したい」は33・7%と、3人に1人が避難を望んでいた。
 今なお、県内の少なくない幼稚園、保育園、小学校では、外遊びの時間を制限したり、土に触れるような行動をさせないといった措置を講じている。
不安感の源には、放射性物質、放射線が目に見えないものであること、低線量被ばくの健康影響にはさまざまな議論があること、危険性を強調する報道や言説が多かったことなどに加え、「被ばくの実態がよく分かっていない」ということがあった。しかし、以下に詳述するように、県や民間の調査で県民の被ばく状況はかなり明らかになってきた。

 【分かってきた被ばくの実態】
外部被ばくについては、市町村がガラスバッチ調査を実施している。個人にガラスバッチと呼ばれる線量計を一定期間携帯してもらい、回収してその期間の積算外部被ばく線量を測定する。2011年後半に実施された福島市のガラスバッチ調査(3カ月携帯)では、99・7%が1ミリシーベルト未満だった。年間換算した数値で見ると、87・2%は2ミリシーベルト未満となる。2011年10~12月に実施された相馬市でのガラスバッチ調査でも、99・2%は年間換算2ミリシーベルト未満だった。
各地の空間線量率は漸減しているので、現在の外部被ばく線量はこれらの数値よりも減少している。大半の県民は年間の外部被ばく線量が1ミリシーベルト以下に抑えられていると考えられる。
一方、食べ物などを通じて体内に取り込む放射性物質による内部被ばくについては、体内の放射性物質の量を測るホールボディカウンター(WBC)検査と、食事に含まれる放射性物質の量を測定する調査が実施されてきた。
WBC検査は福島県のほか、南相馬市立総合病院、ひらた中央病院(平田村)などで実施されている。南相馬市立総合病院の検査結果によると、昨年9月から今年3月までに検査を受けた9502人中、検出限界以下が6668人(70・2%)、セシウム137が体重1キロあたり20ベクレル以上あったのは182人(1・9%)だった。再検査の結果、数値が上昇したのは2人だけで、ほかは減少した。このことは大半の人は新たに取り込むセシウム量が少ないことを意味している。2012年4月以降に測定を受けた中学生以下の子どもの99・9%は検出限界以下で、内部被ばく量が着実に低下していることを示している。
ひらた中央病院の調査でも2012年1月末までの受検者8060人中、検出限界以下が85・5%、体重1キロあたり20ベクレル以上は1・5%と、ほぼ同レベルだった。
 福島県のWBC検査は、測定値(ベクレル)をもとに、預託実効線量と呼ばれる生涯に受ける内部被ばく線量に換算して、結果を発表している。県の2012年8月の発表によると、2011年6月以降の受検者は計6万3366人。このうち1ミリシーベルト以上は26人(最高は3ミリシーベルト)で、ほかはいずれも1ミリシーベルト未満だった。2012年3月以降の受検者は全員が1ミリシーベルト未満だった。厚労省は内部被ばく線量を年間1㍉シーベルト以下に抑えることを目標にしているが、これがほぼ達成されていると言える。
 食事に含まれる放射性物質の調査では、福島市の生活協同組合「コープふくしま」が、食事を1食分多く作り、それを検査する「陰膳」方式による放射性物質測定に取り組んでいる。2011年度の調査には100家庭が協力した。食事1キロあたり1ベクレル以上の放射性セシウムが検出されたのは10家庭。最多でも1キロあたり11・7ベクレルで、自然界に存在して日常的に摂取している放射性カリウムの含有量(1㌔あたり15~58ベクレル)の4分の1程度だった。2012年度の調査では、9月までに結果の出た82家庭中、1ベクレル以上のセシウムが検出されたのは2家庭にとどまった。最多は3・2ベクレルで、この食事を1年間食べ続けた場合の内部被ばく線量は0・037ミリシーベルトになる。
 陰膳調査に参加した人からは「実際に食べているのを調べていただくのは、ここで生きている私たちにとって支えになってきます」「福島ほど放射性物質の検査をしっかりやっている所はないと思うので、最近は食品も県産の物を買っています」といった声が寄せられたという。

【内部被ばくのリスク評価】
 こうした調査結果を踏まえ、福島県民の放射線によるリスク、特に内部被ばくのリスクをどのようにとらえるべきか。一つの比較対象はチェルノブイリ原発事故だ。南相馬市立総合病院の坪倉正治医師は「チェルノブイリ周辺で事故の7~10年後に報告された内部被ばく量に比べて、十分に低い」と分析する。1950~60年代の大気圏内核実験時代との比較も可能だ。放射線医学総合研究所の研究者などの調査によると、大気圏内核実験のピーク時である60年代前半には、成人の体内には数百ベクレルのセシウム137があり、1日数ベクレルのセシウムを摂取していた。南相馬市立総合病院やひらた中央病院のデータと比較すると、「県民の大半は、大気圏内核実験時代の平均的日本人よりも放射性セシウムの内部被ばく量は少ない」と判断できる。
 WBC検査に協力している東京大大学院理学系研究科の早野龍五教授は測定結果について、「内部被ばくが検出されるのは昨年3月に吸入した人が大半で、現在、食事により内部被ばくしている人は少ない。被ばく量は順調に減っており、健康リスクは小さい。チェルノブイリでは土地の汚染と内部被ばく量が比例したが、福島県では土地の汚染に比べて内部被ばく量がはるかに少ない。これは、国の規制、生産者の努力、消費者の工夫などがうまくいったためだと考えられる。測定で数値が比較的高かった人の被ばく量を少なくする個別対策が今後の課題となる」と指摘する。

 【甲状腺検査を実施】
 WBC検査や食事調査は、「現在の放射性セシウムによる内部被ばく」を調べており、事故後まもなくの被ばく、特に放射性ヨウ素による甲状腺被ばくについてはこれらから知ることができない。放射性ヨウ素は甲状腺にたまりやすく、チェルノブイリ周辺では、約6000人の小児甲状腺がん患者が発生し、うち15人が死亡したとされる。
福島県での事故後まもない調査としては、現地災害対策本部の依頼を受けた広島大学の田代聡教授のグループが2011年3月下旬、放射線量の比較的高い飯舘村、川俣町などの子ども1080人を対象に実施した甲状腺測定がある。甲状腺からの線量率毎時0・2マイクロシーベルトをスクリーニングレベルと設定して測定したところ、これを超える子どもはいなかった。甲状腺被ばく量が少ないことを示唆するデータではあるが、この簡易測定だけでは被ばくの実態は判断できない。小児甲状腺がんを危惧する県民の声に応え、福島県は福島県立医科大学が中心となって実施している「県民健康管理調査」の一環として、18歳以下の子どもの甲状腺検査に取り組んでいる。
 2012年6月の「県民健康管理調査」検討委員会で報告された同年3月末までの検査結果では、検査を受けた3万8114人中、「5・1ミリ以上の結節(しこり)や20・1ミリ以上ののう胞(液体がたまった袋状のもの)」が見つかって2次検査を要すると判断された子どもは185人(0・5%)だったが、「5ミリ以下の結節や20ミリ以下ののう胞」という「A2判定」の子どもが35・3%いた。A2判定の子どもは2次検査の対象外であることが、かえって保護者の不安や不満を募らせた。3人に1人がA2判定だったことについて、福島県立医科大学の鈴木真一教授はチェルノブイリ事故後に甲状腺がんが増えたのは4年後以降だったことから、放射線影響ではないとの見方を示した。しかし、「子どもの結節やのう胞の保有率を調べなければ、放射線影響でないとは言えない」との意見もあることから、内閣府は全国3カ所以上、計4500人以上の子どもを調査して、福島県のデータと比較することを決めた。
 2012年9月の検討委員会では、2次検査を受けた子どもの1人が甲状腺がんと診断されたことが報告された。鈴木教授はこれも放射線影響ではないとの判断を示した。検討委員会は事故後3年以内の検査結果はバックグラウンドとなるデータであり、以降の検査結果をこれと比較することによって放射線影響の有無が明らかになると考えている。

【福島県では、がんは増えるか】
大気圏内核実験時代には、国民の全てがセシウム137を中心とした放射性降下物により被ばくしていた。その時期の被ばくは、その後のがん死の増加になって現れているのか。がん死そのものは増え続けている。しかし、これは高齢化社会の到来とともに長寿命になったことが主原因であり、年齢調整死亡率は増えていない。少なくとも、統計的には「被ばくによるがん死の増加」は見られない。
 福島県民の受ける外部被ばく線量は自然放射線の地域差の範囲内である(欧米の多くの国は日本よりも高い)し、内部被ばく線量はそれよりもずっと少ない。毎日新聞で「Dr.中川のがんの時代を暮らす」を連載中の中川恵一・東京大学附属病院放射線科準教授はこうした調査結果や過去の知見に基づき、「福島県では放射線影響によるがんは増えない」と断言する。私も全く同意見だ。それが実証されるのは5~20年後であり、福島県民はそれまでは不安を完全に解消することが難しいだろう。せめて、メディアなどを通じて、「被ばく線量は少ない」という事実を多くの人に知らせる必要がある。浮遊しているセシウムはほぼゼロであり、吸入による内部被ばくの恐れはなく、外遊びや土に触れることを制限する必要がないといった、生活につながる情報も伝えたい。

 【おわりに~福島の支援を】
 最初に紹介した福島市の意識調査では、「原発事故による風評被害は深刻だ」と思う人が91・1%、「福島県は日本の中で孤立している」と思う人が62・3%にのぼった。福島県では、「福島県が人の住めない土地だなどとネットで書かれているのを見ると腹が立つ」「福島県は事故の風化とともに忘れ去られるのではないか」といった声を聞く。
 私は、国(私たち国民を含む)と東京電力の重大な過失(ここでは詳述しない)が引き起こした原発事故により不条理な被害を受けた福島県民を支援する義務が私たちにあると考える。2点を提言したい。一つは福島県を訪れることだ。それは「福島県を忘れない」というメッセージになるし、福島県民への経済的支援になる。もう一つは、特に深刻な打撃を受けた一次産業を支援するために、福島県産の農作物などを積極的に購入することだ。県の生産者は多大な努力をして放射性物質の基準をクリアする産物を作っており、流通する産物の安全性には全く問題はない。私の所属する毎日新聞社水と緑の地球環境本部は毎月2回、「がんばれ東北!矢祭もったいない市場」という名称で、福島県矢祭町の産直を開催している。「買って応援、食べて応援」を呼びかけたい。

2013年8月8日木曜日

放射線影響と「予防原則」

 

 

 

 

 

 東京電力福島第一原発事故の放射線影響について、「どんなに低い線量でも、健康影響が生じる可能性はあるのだから、予防原則に則って、対策を講じる必要がある」との意見を耳にします。妥当な意見のように思われる方がいるでしょうが、私は違う考えを持っています。以下に述べます。

 予防原則は「深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合においては、完全な科学的確実性の欠如が、費用対効果の大きな対策を延期する理由に使われてはならない」(環境と開発に関するリオ宣言)と定義されるのが一般的です。

 予防原則はオゾン層保護のためのウイーン条約(1985年)、オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書(1987年)で取り入れられています。特定フロンなどがオゾン層を破壊している科学的確実性が十分ではない段階で、規制が国際的に合意されました。

 科学的確実性が十分ではなくても、予防的取り組みをするという考え方は、地球温暖化防止の国際交渉でも取り入れられています。日本の環境基本計画(2000年閣議決定)では、環境政策の指針となる四つの考え方の一つに「予防的な方策」が定められています。

 日本では、1970年頃に水俣病などの公害が深刻化しました。水俣病の場合、工場廃液中の有機水銀と患者の症状との因果関係を、原因企業や国がなかなか認めず、対策が遅れたために患者数が増えました。その経験から、環境分野にかかわる人の多くは予防原則の意義を認識しています。

 さて、「原発事故による放射線影響と予防原則」について述べましょう。最初にあげた「どんなに低い線量でも、健康影響が生じる可能性はあるのだから、予防原則に則って、対策を講じる必要がある」との考えは適切であるのか否かです。

 福島県、あるいは周辺県、首都圏の方々が受けた、受けている追加被曝線量は概ね年間3ミリSv以下の低い線量です。今後は福島県の相対的に線量が高い地域の方でも追加線量は年間1ミリSv以内になるでしょう。これは「深刻な、あるいは不可逆的な被害のおそれがある場合」に該当するでしょうか。

 私は年間数ミリSvの被曝が「深刻な被害のおそれがある場合」に該当するとは思いませんし、大多数の専門家はそれに同意するでしょう。このレベルの被曝は、将来のがん死の増加があったとしても、ほかの要因に隠れて統計的な差が現れないほど、リスクは小さいと考えられます。

 「内部被曝の影響はよく分かっていない。低線量被曝が健康に大きな影響を与える恐れがあるということには、完全な科学的確実性がないかもしれないが、それを理由に対策を講じないのは予防原則に反する」との主張もあるでしょう。しかし、その主張には誤りがあると考えます。

 予防原則は何にでも適用されるものではなく、少なくとも「暫定的な科学的評価」がなければなりません。「内部被曝は外部被ばくの〇〇倍も影響がある」といった言説は、ごく一部の研究者の主張であり、「暫定的な科学的評価」とは認められないでしょう。

 また、遺伝的影響、催奇形性、さらには下痢や鼻血といった症状は低線量被曝では起こらないことが専門家のほぼ一致した認識であり、これらが低線量被曝でも起こるという主張は「暫定的な科学的評価」とは認められません。

 予防原則を考える際には、「費用対効果」も重要です。「無用の被曝を避ける」という観点からは、被曝量を低く抑えることが望ましいのですが、低くするために要する費用とそれによる効果を考えなければなりません。年間2ミリSvを年間1ミリSvに下げたとしても、健康影響はほぼ違いがありません。

 かつて「ダイオキシン騒動」の際にも、予防原則の考えが強く出され、学校焼却炉の廃止や各地の野焼き行事の中止など多方面に影響がありました。ダイオキシンは「微量でも人体に大きな影響を与える」と言われましたが、その言説は根拠、あるいは「暫定的な科学的評価」さえなかったのです。

 環境活動にかかわる人の多くは予防原則を重要な原則として評価しているでしょう。それに異論はありませんが、低線量被曝への適用については、最初にあげた予防原則の定義に則って、慎重に検討すべきだと考えます。予防原則の拡大解釈による社会的損害はダイオキシン騒動で経験済みなのです。
                                                                   (了)

2013年8月6日火曜日

憂楽帳(斗ケ沢秀俊)全12回

「憂楽帳」というコラムが毎日新聞にあります。以前、ワシントン特派員をしていた時期、3カ月間、これを週1回書いていました。それをまとめて紹介します。

2002年07月01日  憂楽帳:行方不明の子供たち
   「この子供を知りませんか」。行方不明の子供の情報提供を呼びかける写真付きのはがきがまた、米メリーランド州の自宅のポストに入っていた。週1回は見かけ、そのたびに暗い気分になる。いったいどれだけ多くの子供たちが行方不明になっているのだろう。
 はがきに記された「失踪(しっそう)および搾取された子供のための全国センター」(本部・バージニア州)を訪ねた。広報担当のティナ・シュワルツさんによると、センターは行方不明の子供の写真付きのポスターやはがきを作って大量配布している。84年の設立時から現在までに9万件を扱い、6万3000人を捜し出した。
 映画「模倣犯」が日本で話題になっている。米国在住の身で日本映画は見られないが、宮部みゆきさんの原作を読み、行方不明者の家族の苦しみを改めて知った。  米国では子供の家出が年間約45万件、連れ去りが35万件に達する。その背後に数百万人の家族の苦悩がある。「センターが充実した今では、90%の子供を見つけ出せます」。シュワルツさんの言葉に救いを感じた。
 【斗ケ沢秀俊】

2002年07月08日  憂楽帳:単位一国主義
 「現在の気温は90度です」。米国に来てまもないころ、天気予報に驚かされたことがある。もちろん、カ氏温度のことで、セ氏では約32度。90度と聞くと、暑さが一層増す気分になった。
 米国社会では、気温はカ氏、長さはインチやマイルが使われる。米標準・技術研究所のジェームズ・マクラーケンさんは「法律でメートル法への自主的な転換が決まったが、なお多くの分野で旧来の単位が使われている。国際標準のメートル法に一本化するよう努力しているが、すぐにはできないだろう」と語る。学校でも両方の単位と換算法を教えており、生徒は余計な勉強を強いられている。
 ブッシュ米政権の外交政策はユニラテラリズム(一国決定主義)と評される。外交も単位も一国主義。自国の標準に固執する米国民は実は国際感覚が薄いのか。  とはいえ、郷に入っては郷に従えである。「カ氏68度がセ氏20度、86度が30度」と覚えたら、もう戸惑うことはない。最近は重さ感覚をスーパーで磨いている。「この焼き肉用の肉2ポンドください」 【斗ケ沢秀俊】

2002年07月15日  憂楽帳:この国に生まれて…
 米国ではバリアフリーの街づくりが進んでいる。例外なく障害者用スペースのある駐車場、入り口にスロープを設けた建物を見るだけでそれは分かるが、実感したのはバージニア州に住む筋ジストロフィーの青年、ジョン・ブックバックさん(24)と出会った時だ。
 彼は病気が進み、指先以外はほとんど動かせない。それでも、障害者用品の販売会社に勤め、車椅子の設計や経理を担当している。「自分で車を運転して通勤している」と聞いて、私は驚いた。  車椅子のまま運転席に入り、レバーや操作盤のボタンを押して運転する特注車だ。州政府の補助を受けて購入した。運転免許を取る際には、企業が特別の教習車を提供してくれたという。
 「障害を持っていても、可能な限り働きたい。米国には障害者差別を禁じた障害者法があり、社会全体が自立に協力してくれる。僕はこの国に生まれて良かった」。彼はそう言って笑顔を見せた。  「日本に生まれて良かった」と言える障害者はどれだけいるだろう。そう自問しながら、彼の言葉をかみしめた。  【斗ケ沢秀俊】

2002年07月22日  憂楽帳:スターフィッシュ物語
 ワシントンから車で3時間。久しぶりに大西洋岸に釣りに出た。釣られて放置されたのか、防波堤に1匹のヒトデが落ちていた。ふと、スターフィッシュ(ヒトデ)の物語を思い出した。
 浜辺でヒトデを次々と海に放り投げている若者がいた。通りかかった作家が「なぜか」と尋ねた。「太陽が昇り、潮が引いている。僕が海に返さないと死んでしまうからです」「浜辺中にヒトデが転がっている。いくら投げたって同じじゃないか」。若者は別のヒトデを海に放って言った。「あのヒトデにとっては違うのです」
 この小さな物語を、注意欠陥多動性障害(ADHD)を考える学校看護師の会「セーブ・ワン・スターフィッシュ」のジェーン・ブラウンさんから教わった。同じように見えるヒトデでも、1匹ずつ命があり、違いがある。「子供たちの違いや個性を認めることから教育は始まる」。そんな寓意(ぐうい)を込めた創作だという。  防波堤のヒトデは暑い日差しの下で、まだ生きていた。「もう釣られるなよ」。海に向かってそれを放り投げた。  【斗ケ沢秀俊】

2002年07月29日  憂楽帳:原発秘話
 米公文書館は膨大な公文書を無料で閲覧できる貴重な施設だ。利用方法を体得するために訪れたメリーランド州の公文書館で、興味深い資料を見つけた。米国が広島に原子力発電所を贈ろうとした動きを記した一連の文書だった。
 下院議員の一部が1954年、「被爆地の広島に原発を無料で贈ろう」と言い出した。国務省は日本の政府や原子力の専門家に打診した。しかし、広島県民や左派の人々からの反発が強く、アイゼンハワー大統領(当時)もこの提案に消極的だったことから、「広島原発」は幻に終わった――。  日本初の原子力による発電の9年前の出来事。原子力開発の正史に記されない秘話である。実現していれば、広島が日本の原発の発祥地になっていたかもしれない。
 「原子力平和利用の意義を伝えたい」との下院議員の発言には善意が感じられる。民主主義やテロ反対といった「善」を世界に押し付ける現在とどこか重なる。被爆の深い傷を負った県民の心情は、理解の範囲外だったのだろう。
 広島は8月6日、57回目の原爆忌を迎える。 【斗ケ沢秀俊】

2002年08月05日  憂楽帳:肥満の受容
 土曜日の夜、米バージニア州のプールを訪れた。ふくよかな体形の男女約30人がホットドッグをほおばりながら談笑したり、泳いだりしている。全米肥満受容促進協会首都圏支部のパーティーだ。
 標準体重を超える成人の割合が61%に達する肥満大国・米国。多くの団体が肥満解消の研究や啓発に取り組み、多くの人がやせたいと望んでいる。同協会はそんな風潮に立ち向かい、社会に「体形による差別の撤廃」、個人には「自身の体形の受容」を訴えている。
 同支部代表のネドラ・リマさんは体重約90キロの40代の女性。「ダイエットの成功率は5%に満たない。体重減少の反動による急増など、むしろ健康に害を及ぼすことが多い」と、ダイエット批判を熱っぽく私に語った。  中国製ダイエット食品による健康被害が日本で問題化している。ダイエット志向の高まりを背景に発生した事件だ。
 私自身、太りたくないと願っている。しかし、リマさんの次の言葉には、深くうなずいた。「人生の価値は体形で決まるわけではないでしょう」  【斗ケ沢秀俊】

2002年08月12日  憂楽帳:報道被害
 10部屋ほどが入居するアパートがいくつか並んでいる。一番奥の建物に入り、表札のない部屋のドアをたたいた。
 7日、私は昨秋の炭疽(たんそ)菌事件の参考人として1日に米連邦捜査局(FBI)の家宅捜索を受けた米メリーランド州の男性研究者(48)の自宅を訪れた。「報道被害」の取材のためだ。
 FBIが「容疑者ではない」と明言しているにもかかわらず、米メディアは実名、顔写真付きで、彼のプライバシーを暴いていた。明らかな名誉棄損だと思った。事実上の容疑者扱いをどう感じているのか、彼に尋ねたかった。
 ドアのすき間からは電話の声が漏れていた。声が途切れた時に何度か呼びかけたが、返事はない。静寂が拒否の意思を示していた。私の行為は彼にとって新たな報道被害なのかもしれない。そう自問しながら、帰路に就いた。
 11日、彼は弁護士とともに初めて会見して無実を訴え、過剰な報道を批判した。しかし、メディアは今後も彼を追い回すだろう。私がその一員であることに、苦さを覚えた。 【斗ケ沢秀俊】

2002年08月19日  憂楽帳:大統領との「賭け」
 今年4月、米国の若者の環境グループがブッシュ大統領に賭けを持ちかけた。「若者が7月末までに2万トンの二酸化炭素(CO2)排出削減を達成したら、大統領は環境・開発サミットに出席してほしい。達成できなかったら、大統領のもとでボランティアをする」との内容だ。
 ホワイトハウスからの返事はなく、賭けは成立しなかった。それでも、同グループは「エアコンや電気のスイッチをこまめに切る」「公共交通機関や自転車を使う」といった省エネルギーをキャンパスなどで呼びかけ、CO2削減目標の達成を宣言した。
 米国では、エアコンを24時間使い、平気で食べ物を残す人が少なくない。しかし、ペンシルベニア大学生のリンダ・ウォンさん(21)は「若者の意識は少しずつ変わり始めている」と話す。
 「米国が地球環境保護でリーダーシップを発揮してほしい」というウォンさんらの願いは、国際社会の要望でもある。26日のサミット開幕まで、あと1週間。「賭けに負けた」ブッシュさん、ぜひ出席を。 【斗ケ沢秀俊】

2002年08月26日  憂楽帳:リスク評価
 「私は蚊に刺されやすい体質なのよ」。米バージニア州在住の60代の日本人女性は腕の蚊に刺された跡を見せながら、不安そうに言った。同僚の男性記者は毎週末、自宅周辺の草刈りに精を出している。蚊を媒介に感染する「西ナイルウイルス」への恐怖心からだ。
 米国内の感染者は先週末で20州計371人に達し、16人が死亡した。2州が非常事態を宣言し、殺虫剤の売り上げが急増している。行政が対策を講じるのは当然だ。しかし、冷静に考えると、リスクは極めて小さい。
 米国在住者が感染して死亡する確率は現時点で1000万分の1以下。宝くじの高額当選の確率よりもずっと低い。米国で年間約4万人に上る交通事故死(確率は約7000分の1)を心配するほうが現実的だ。
 「家族の健康を守りたい」という同僚記者の気持ちは分かるが、私は彼に忠告した。「家族のために努力するつもりなら、たばこをやめて間接喫煙を防ぎなさい」。もっとも、この言葉に説得力はない。私も害を知りつつ喫煙を続けているのだから。  【斗ケ沢秀俊】

2002年09月02日  憂楽帳:チャンスを待つ
 日本の骨髄バンクから手紙が届いた。骨髄移植を希望する患者と私の白血球型(HLA)が適合したので、詳しい検査を受ける意思があるかどうかを確かめたいとの内容だった。
 バンク設立運動を取材、報道した縁で、92年の登録開始と同時にドナー(提供者)登録をした。移植にはドナーと患者とのHLA適合が前提となる。2年後に適合の知らせを受けて詳しい検査に進んだが、その患者とより適合度の高いドナーがいたためか、私は選ばれなかった。今回が2度目のチャンスだった。
 しかし、今は米国在住の身。毎日新聞社には骨髄提供時の有給休暇制度があるものの、検査の段階で帰国することは現実には難しい。残念ながら、お断りした。
 バンクによると、設立以来の移植実施件数は4275件、7月末時点で登録患者は1841人、登録ドナーは15万6211人。提供には麻酔や骨髄液採取に伴うリスクがあるが、命を救える可能性を私は選びたい。年齢制限の50歳まで残り5年。3度目のチャンスは来るだろうか。【斗ケ沢秀俊】

2002年09月09日  憂楽帳:ノープロブレム
 「ソーリさん、また、道に迷っちゃった」。取材部屋に戻った同僚があきれた口調で報告した。しかし、表情は何だか楽しそうだ。
 南アフリカ・ヨハネスブルクで開かれた環境・開発サミットで、毎日新聞取材班は現地の事務局を通じて、ハイヤーを借りた。派遣された運転手が黒人男性のソーリさん(40)だった。
 彼は毎日のように道に迷う。交差点でエンストしたこともある。そのたびに「ノープロブレム」(大丈夫さ)と口にする。最初は皆、要領の悪い運転手を割り当てた事務局を恨んだ。ところが、遅れて到着しても、会見が遅れて間に合うといったように、不思議と「結果オーライ」になる。憎めない笑顔に、皆が負けた。
 ヨハネスブルクの失業率は30%近い。妻と4人の子供を抱えるソーリさんも失業者の一人で、期間中だけの仕事だ。4日の閉幕とともに、彼は失業者へと戻った。
 閉幕後、ソーリさんにお礼の電話をかけた。「仕事が見つかるといいね」と言うと、いつもの陽気な声が返ってきた。「ノープロブレム」                       【斗ケ沢秀俊】

2002年09月30日  憂楽帳:反戦おばあちゃん
 そのおばあちゃんに出会ったのは、9月中旬にワシントンで開かれた人権擁護集会だった。「グレー・パンサーズ」という市民団体のメンバー、ローズマリー・フリンさん(76)。イラク攻撃反対を訴える姿にひかれ、後日、米メリーランド州の自宅を訪ねた。
 物理化学の博士号を持つフリンさんは米航空宇宙局(NASA)などに勤務しながら、9人の子供を育てた。70年代にはベトナム反戦運動にも参加したという。
 「イラクに核兵器、化学兵器があるかどうかは分からない。両方とも持っているのは、他ならぬ米国です。非民主的な政権だとしても、米国に他国の政権を決める権利はありません。翌週アフガニスタンに行くという軍人がデモ行進の際、私の意見を聞いて、賛成だと言ってくれました」
 同時多発テロ以降、米国で広がる独り善がりの愛国主義に違和感を抱いている私は、フリンさんの筋の通った主張に、勇気付けられる思いがした。
 29日に開かれたイラク攻撃反対のデモ行進でも、フリンさんの小柄な姿があった。
                                              【斗ケ沢秀俊】